松江地方裁判所 昭和34年(レ)8号 判決 1965年5月27日
控訴人 三上三九郎
右訴訟代理人弁護士 大脇英夫
被控訴人 高田治郎一
右訴訟代理人弁護士 松永和重
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
控訴人より被控訴人に対する債務名義として昭和三〇年一一月一日松江地方法務局所属公証人野尻繁一作成第四、一〇九号金銭消費貸借契約公正証書が存在すること、同公正証書には被控訴人が同年六月六日控訴人から金五〇、〇〇〇円を借り受けたが、その弁済期を同年一〇月三〇日、期限後損害金を日歩金一〇銭九厘とすること、被控訴人は債務中履行のとき直ちに強制執行を受くべき旨認諾したことなどの記載があることは、当事者間に争いがない。
そこで被控訴人主張の異議原因を以下順次判断する。
まず異議原因(一)についてみるに、被控訴人は昭和三〇年六月六日現実に金五〇、〇〇〇円の授受がなかったことを主張して消費貸借の成立を争い、控訴人は準消費貸借の成立を主張するところ、≪証拠省略≫を合せ考えると次のことが認められる。
控訴人は被控訴人に対し昭和二四年三月二一日金一〇、〇〇〇円、同年六月七日金四、五〇〇円、同二五年一月四日金二〇、〇〇〇円をそれぞれ貸し渡していたほか、同二六年一月三日控訴人所有立木を代金二五、〇〇〇円で売り渡し、その後その残代金として残っていた金二〇、〇〇〇円を貸金とし、以上元本合計金五四、五〇〇円の債権を有していた。ところが同二六年二月一二日に至り、控訴人が被控訴人から同人所有の田地五筆山林一筆を代金九、五〇〇円ならびに離作料四五、〇〇〇円計金五四、五〇〇円をもって買い受け、右代金債権は前記貸金債権と対当額で相殺し、ただし被控訴人が同二六年三月三一日までに控訴人に金五五、〇〇〇円を支払うときは右田地山林の所有権を移転しなかったこととする旨の売買契約書(乙第一〇号証)を作成したが、右は前記貸金債権五四、五〇〇円に利息五〇〇円を付して同二六年三月三一日に返済することを約したもので、右田地山林をその担保に供する趣旨のものであった。被控訴人は右期限内に右金五五、〇〇〇円の支払をしなかったが、控訴人被控訴人間で同年四月から右金五五、〇〇〇円に対する利息として月一割の率による金五、五〇〇円を支払うこととして右期限を延期した。被控訴人は右金五、五〇〇円の四ヶ月分合計金二二、〇〇〇円を控訴人に支払ったので、同年四月から一二月までの九ヶ月分利息合計金四九、五〇〇円の未払残高が金二七、五〇〇円となるところ、同年一二月三〇日控訴人と被控訴人は、右金二七、五〇〇円のうち二、七五〇円を同二七年一月三〇日までに支払うときは残額二四、七五〇円を免除すべく、かつ元本金五五、〇〇〇円の返済期を同二七年一月末日とし右元本に対する利息の率を同年同月から月八分に引き下げることを約した。次いで同二六年一二月三一日控訴人は被控訴人に金一〇、〇〇〇円を貸し渡したが、被控訴人の他山林を担保とし前同様代金一〇、〇〇〇円とする土地売渡証書(乙第一一号証)を作成した。同二八年二月三日控訴人は被控訴人に対し、以上貸金につき少くとも月八分の利息を計上し同二七年一二月三一日現在の元利合計が金九六、三八八円四〇銭となる旨の勘定書を交付した。控訴人は同二八年五月六日被控訴人から右金九六、三八八円四〇銭に対し同年一月以降月八分の割合による利息を支払う旨の書面(乙第一号証)をとり、この旨を約させた。同三〇年六月上旬、控訴人は訴外岡田博に右貸金の回収を依頼し、ここに同人が控訴人被控訴人間の貸借関係に介在することとなり、同月八日頃同人は被控訴人と交渉し、以上の貸金元利を金五〇、〇〇〇円に減額して弁済期日を同年九月三〇日とし、被控訴人から右期日までに返済する旨ならびに債務不履行のとき如何なる法的処分を受けても異議ない旨記載した支払誓約書(乙第三号証)を差し入れさせたが、控訴人は右減額を承諾したものの返済期日に不満であったところ、訴外岡田博は被控訴人と再び交渉し右金五〇、〇〇〇円の支払のために被控訴人をして控訴人に宛てて満期を同年七月二八日ならびに同年九月二八日とする金額金二五、〇〇〇円の約束手形各一通計二通を振り出させた。しかるに被控訴人は同年七月二八日満期の手形金の支払をしなかったので、同年九月一二日頃控訴人被控訴人の居村大和村の若木旅館において、訴外岡田博が介在して、控訴人被控訴人間で、前記金五〇、〇〇〇円の支払期日を同年一〇月三〇日に延期し、期限後は法定最高利率による損害金を支払うことを約し、明示的に被控訴人の強制執行認諾はなかったが少くともこれについて公正証書を作成することとし、その作成嘱託は双方とも訴外岡田博に一任した。同人は翌朝同旅館において、被控訴人から委任状なる文言のみを記載した白紙二通に複写により署名押印し収入印紙の消印も押捺した印鑑証明書交付ならびに公正証書作成嘱託のための白紙委任状二通の交付をうけ、(別口訴外星野一三の被控訴人に対する債権に関し公正証書作成嘱託用委任状一通も同時に交付されている)右委任状のうち一通により訴外飯塚昇をして被控訴人の印鑑証明書の交付を受けさせるとともに、控訴人からも公正証書作成嘱託のための委任状と印鑑証明書の交付を受けた。訴外岡田博は直ちに公正証書の作成を嘱託せず被控訴人の履行状況を見守っていたがその履行がなされなかったので、同三〇年一一月一日自らは控訴人代理人となって本件公正証書の作成を嘱託し、被控訴人のため右委任状のうち一通に公正証書嘱託のための所要事項を補充し、公証人役場職員に適宜の者を同委任状により被控訴人の代理人とすることを依頼したところ、これにより司法書士奥村友夫が被控訴人の代理人となって本件公正証書作成嘱託をした。
以上のとおり認められる。≪証拠省略≫中、以上の認定に反する部分は信用しない。≪証拠省略≫によれば、公証人から被控訴人に本件公正証書の作成通知をしたのに対し、被控訴人から公証人に対し書信を送った事実が認められるが、当審被控訴人本人尋問(第一回)の結果中、右書信は本件公正証書の作成を依頼した覚えはない旨書き送ったものであるとする部分は右認定事実と比べ直ちに信用することができないので、右甲第四号証によって被控訴人が本件公正証書作成を承諾していなかったともなし難く、ほかに前記認定をくつがえすに足りる証拠はない。なお、被控訴人のなした文書提出の申立は、その全立証によっても控訴人が被控訴人主張の文書を現に所持していることを認めるに足りないから、これを却下する。
そして、被控訴人は昭和二四年三月二一日借り受けた金一〇、〇〇〇円は元利とも皆済したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、同主張は採用できない。
そうすると以上本件事実関係によると、控訴人の被控訴人に対する旧債権昭和二四年三月二一日貸渡金一〇、〇〇〇円、同年六月七日貸渡金四、五〇〇円、同二五年一月四日貸渡金二〇、〇〇〇円、同二六年一二月三一日貸渡金一〇、〇〇〇円、同年一月三日売買に基く債権二〇、〇〇〇円の各元本合計金六四、五〇〇円の範囲内で、内金五〇、〇〇〇円につき同三〇年六月八日頃消費貸借の目的とし、同年七月および九月の各二八日に各金二五、〇〇〇円宛弁済することを約していたが、同年九月一二日頃その弁済期を同年一〇月三〇日に延期したものであるところ、これを同年六月六日金五〇、〇〇〇円貸与したとして本件公正証書上表示したことが明らかである。そうして、現実に金銭の授受をともなわず旧債務を消費貸借の目的とする準消費貸借をしたばあいに、公正証書上これを消費貸借としていても、このためにその公正証書を事実に合わないものとすることはできず、また準消費貸借成立の日の一両日程度前の日をもって公正証書上消費貸借をした日として表示していても請求権の表示として事実に適合しないとすることもできないので、これらの点から公正証書を無効とすることはできない。それ故右のとおり昭和三〇年六月八日頃金五〇、〇〇〇円につき準消費貸借の成立している以上、本件公正証書上同月六日付消費貸借として表示されていても、これにより本件公正証書が無効となることはない。
そして、被控訴人において明示的に強制執行を認諾していなかったけれども、一般に特別の事情のない限り公正証書作成嘱託のための委任状の交付は強制執行認諾条項ある公正証書作成嘱託のための委任状とみるべきであるところ、本件のばあい、このような特別な事情を認めることができないので、被控訴人は強制執行認諾条項ある公正証書の作成嘱託を承諾していたものというほかないのであり、訴外奥村友夫が被控訴人の代理人となるに至った前記いきさつからして、訴外岡田博が被控訴人の委任状を濫用したものとなし難く、訴外奥村友夫につき被控訴人を代理して本件公正証書の作成を嘱託する権限がなかったともなし難いところである。
以上の次第であるので異議原因(一)は採用できない。
異議原因(二)についてみるに、≪証拠省略≫によれば、訴外岡田博が本件公正証書作成の際、公証人役場において、同役場にあった書式例にならい、控訴人ならびに被控訴人の各委任状に委任文言、貸借金額、債権者債務者各氏名、元金弁済期日、債務不履行等の場合に期限の利益を失う事項を相手方と協定すること、強制執行を認諾する条項を付しその他の条件を相手方と適宜協定し公正証書を作製することの旨をそれぞれ記入したことが認められる。このように白紙委任状による代理人の嘱託がなされた場合には本人に連絡するなど適宜の措置を採り代理権限の有無について慎重な調査をする必要があり、本件のばあいも公証人において当該各委任状がその外形自体からして白紙委任状であったのではないかと疑ってみる余地があったというべきであるのに拘わらず、右のような調査がなされなかったのであるから、委任状の取り扱いが妥当でなかったことを否定できないのであるが、被控訴人の右委任状は前記のとおり公正証書作成のため訴外岡田博に交付されていた委任状であるから、右交付の際同人に委任事項を補充する権限を与えていたというべきであるので、右のように通常の消費貸借公正証書作成嘱託の委任状の書式例に従った補充をなしたからといって公証人法第三二条第一項にいう代理人の権限を証すべき証書でないということはできない。そして、これとともに印鑑証明書を公証人に提出するときは、同条第二項にいう証書の真正なることを証明された私署証書とするに何ら欠くるところはない。従って右異議原因は採用できない。
異議原因(三)について考えてみるに、≪証拠省略≫を合せ考えると、訴外岡田博は日本興信所山陰総局長と称して、表向き会員組織による信用調査業務を行う形態をとりながら、実際には専ら法律知識に乏しい一般大衆を対象とし、主としていわゆる焦げつき債権や家屋明渡、山林境界等の紛争事件をさがし求め、すくなくとも三、〇〇〇円の入会金をとりその依頼を受けてこれに介入し、債権取立等の法律事務を行うことを業とする者であるところ、本件のばあいも控訴人から興信所入会金名下に金三、〇〇〇円の報酬を得て被控訴人に対する債権回収の依頼を受けたものであって、弁護士でないのに報酬を得る目的で前記認定のとおり本件準消費貸借の締結ないし公正証書作成に関与したことが認められ、これに反する証拠はない。従って訴外岡田博の右本件に関与した行為が弁護士法第七二条本文前段の報酬を得る目的で法律事件に関して仲裁若しくは和解または代理等の法律事務を取り扱ったものとして同法第七七条により刑事上処罰されるべき行為であることは明白である。
そして、当審における第一、二回控訴本人尋問の結果によれば、控訴人は昭和三〇年六月上旬訴外岡田博に右債権回収を依頼した際、同人が日本興信所山陰総局長の肩書を用いて会員を募り、入会金の名目で最低三、〇〇〇円、件数によってはそれ以上の額をとって、法律上の紛争事件について、債権の取立、仲裁若しくは和解等をし、あるいは法律上のことについて質問に応じ指示する等の業務に従事していたことを知って、金三、〇〇〇円の入会金を支払いこれを依頼したことが認められ、これに反する証拠はない。右事実によれば控訴人は訴外岡田が弁護士の資格をもたないで右のような仕事をしていることを知って本件貸金の回収を依頼したと推認すべく、これを左右する証拠はない。
してみると、控訴人と訴外岡田間の本件貸金取立の委任およびこれに基く公正証書の作成嘱託に関する代理権の授与行為は弁護士法第七二条本文に抵触するというべきであるから、控訴人において訴外岡田の右行為が右法律に触れ刑罰を課せられるべき行為であることを知らなかったとしても、前記委任ならびに授権行為は公の秩序に反する事項を目的とし民法第九〇条に照らし無効であるといわなければならない(昭和三八年六月一三日最高裁判所第一小法廷判決参照)。従って訴外岡田博が控訴人の代理人となって本件公正証書の作成を嘱託した行為もまた公の秩序に反する事項を内容とするものであって、その効力を生ずるに由ないものというべく、右の無効な嘱託行為に基いて作成された本件公正証書は成立要件を欠き、公正証書としての効力特に債務名義としての執行力を認めることはできないと解するのが相当である。よって、他の異議原因について判断するまでもなく、本件公正証書に基く強制執行は許されないといわなければならない。なお控訴人主張の追認の抗弁は主張自体理由のないこと多言を要しないからこれを採用するに由ない。また前記認定のような公正証書作成嘱託の代理資格に関するかしは、いわゆる執行証書が有効な債務名義となり得るための実体的前提要件の欠缺に関するものと解すべきであり、このかしを理由として執行力の排除を求めるには民事訴訟法第五四五条の請求に関する異議の手続によることを相当とするから、本訴請求は適法になされたものというべきである。
以上の次第で、本件公正証書の執行力の排除を求める被控訴人の請求を認容した原判決は、その理由を異にしているけれども結局正当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条第二項第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 五十部一夫 裁判官 谷清次 裁判官山口和男は転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 五十部一夫)